勝ちにこだわる野球は悪なのか?指導者が抱える“ジレンマ”の正体

「少年野球は楽しければいい」「勝ち負けなんて関係ない」。
そんな言葉をよく耳にする。
でも、グラウンドで子どもたちと過ごしていると、俺にはどうしても違和感がある。
俺はやるからには勝ちたい。
それは、自分のためというよりも、子どもたちが積み重ねてきた努力に報いたいからだ。
彼らが本気で頑張ってきたからこそ、勝ちを目指す意味がある。
それなのに、勝ちにこだわると「厳しすぎる」「時代に合ってない」と言われる。
まるで“勝ちたい”という気持ちそのものが悪のように扱われることもある。
でも本当にそうだろうか?
俺はこの現場で、勝ちたいと本気で願う子どもたちを何人も見てきた。
勝つために泣き、勝てなくて悔しがり、負けた翌日も素振りを続ける。
その姿を見ていると、「勝ちにこだわること」を否定するのは、子どもたちの本気を否定するのと同じように感じる。
勝ちを目指すことは、自然で当たり前のこと
俺がコーチをやっていて感じるのは、
“勝ちたい”という気持ちは、子どもたちにとってごく自然な感情だということ。
点が入れば飛び跳ねて喜び、負ければ泣く。
その姿は純粋で、誰よりも真剣だ。
勝負の世界に身を置く以上、「勝ちたい」と願うのは当然のことだ。
「勝ち負けなんて関係ない」「楽しければいい」と言うのは簡単だ。
でも、試合で必死にプレーしている子どもたちは、
間違いなく勝ちを意識している。
本気で努力してきた子たちは、勝ちたいから練習を頑張る。
勝ちたいから声を出す。
勝ちたいから仲間とぶつかり、協力する。
その過程こそが“育成”なんだ。
勝ちたいという想いを「悪」とするのは違う。
それは努力する姿勢を軽く見ているのと同じだ。
全員を出す野球が“正義”とは限らない
うちの監督は「全員を試合に出す」ことを大切にしているタイプだ。
その考え方も理解できる。
試合に出ることで子どもが経験を積み、野球の楽しさを知る。
それは悪いことじゃない。
ただ、現場で見ていると、そこには難しさもある。
たとえば、途中で交代した子のエラーで試合を落とすことがある。
勝てる試合を逃したあと、
ベンチで何も言えない自分がいる。
悔しい気持ちと、「それでも全員を出す方針なんだから」という納得が、
胸の中でずっとぶつかり合っている。
俺が本当に引っかかるのは、“出してもらう側の姿勢”だ。
普段の練習からやる気が見えない。
声も出さない。
ボールボーイを任せても、ダラダラ。
それでも「全員出すのが平等だ」と言われ、試合に出る。
そして試合中も、
ミスしても笑って終わり。
仲間がエラーをしても声をかけない。
勝ち負けより「出られて良かった」で満足してしまう。
それを見るたびに思う。
“全員を出す”ことが本当に正義なのか?
入団時に「全員試合に出します」なんて約束はしていない。
努力をせず、チームに貢献する意識がない子を無理に出す理由は、
どこにあるんだろう。
勝ちたい子どもたちの気持ちを、大人が奪っていないか
少年野球のチームには、いろんな家庭がある。
なんとなく始めた家庭。
友達がやってるから入った家庭。
野球に興味のない家庭。
そして、将来甲子園を本気で目指している家庭。
どれも間違いじゃない。
でも、問題はそれを“同じ基準”で扱おうとする大人たちだ。
頑張っている子も、そうでない子も「同じように出す」のが平等。
そう聞こえはいいけれど、実際はそうじゃない。
努力してる子の気持ちを軽く扱ってしまう危険がある。
試合に出るために、誰よりも素振りをしてきた子がいる。
夜、自宅の庭で何百回もバットを振ってる子がいる。
そんな子がベンチで控えて、
練習をサボってる子が試合に出る――それを「平等」と呼べるのか?
本気で頑張ってる子どもたちは、勝ちたいんだ。
その気持ちを、指導者や保護者が勝手な“教育論”でつぶしてはいけない。
勝ちを目指すことは、子どもたちの成長と向き合うこと
勝ちを目指すって、単にスコアボードを気にすることじゃない。
その裏には、努力・責任・チームワーク、すべてが詰まっている。
勝つために努力する過程で、子どもは確実に成長する。
仲間と声をかけ合い、エラーをカバーし合い、
最後まで諦めない姿勢を身につける。
それが、将来の人生に生きる「負けない心」につながる。
「勝ちたい」と思える環境は、
子どもが真剣に自分と向き合える環境だ。
そしてその環境を作るのが、俺たち指導者の役目だと思う。
“勝ちたい”は悪じゃない。本気の証拠だ
勝ちにこだわる指導者を「厳しい」「時代遅れ」と言う人がいる。
でも俺はそうは思わない。
勝ちたいという気持ちは、人としての本能であり、
何かに本気で向き合っている証拠だ。
「勝ちたい」と思える子どもは、
負けた悔しさも、仲間への感謝も知っている。
その感情があるから、もっと強くなれる。
だから俺は、
勝ちにこだわる指導者でありたい。
本気で勝ちたい子どもを守るために。
勝ちを目指すことは悪じゃない。
それは、子どもたちの本気と正面から向き合う大人の姿なんだ。
同じように“本気”と“厳しさ”の狭間で揺れた日のことを、もうひとつ。
グラウンドから綴る Written on the Field

鬼コーチ
子どもたちには厳しいけれど、本気で成長を願っている「鬼コーチ」です。 怒るのは、技術じゃなく“心”の部分。 教えているつもりが、いつも子どもたちに教えられています。